「禁じられた秘密」

 小さな十字架は庭の片隅に、いくつも並んでいた。
 草陰に並んだお墓たち。
 誰にも見返られない場処にひっそりと佇むそれは、わたしとご主人様だけの秘密の場処だった。
 
 まるで王子様みたい……。
 初めてフレイと会ったときに感じたときめきは、思い出すたび、今も鮮やかにセレーンの胸によみがえる。
 にこりと微笑んで、愛らしく破顔する瞬間を、セレーンは心の奥底に大切に仕舞っている。
 王子様みたいというまでもなく、実際フレイはこの国の公子だ。
 どこか人懐っこい煌めく茶色の瞳に、くるくると跳ねまわる明るい茶色の癖っ毛。
 愛らしい顔をした王子様は、けれども、この家の中ではみそっかすの扱いを受けていた。

 それだけではなく、跡継ぎである長男と母親のお気に入りである次男とは、子どもの頃から折り合いが悪い。ずいぶんと歳が違うにもかかわらず、嫌がらせをされるのもしょっちゅう。
 フレイが大切にしていると知られると、本でも小物でも、持ち物を隠されてしまったり、取り上げられたり、しばらくして壊れて見つかるなんてことが何度もあった。
 それが父親や親戚から贈られたものだったりすると、母親――公爵夫人から「なぜお前は、もらったものを大事にしないの?!」などと理不尽な言いがかりをつけられることも珍しくない。

 誕生日の贈り物のひとつだった珍しい模様のついた木彫のペーパーナイフが真っ二つに折られて見つかったときのフレイの悲しそうな顔。
「こういうこともあるよ」
 そう言ってなんとか痛みをこらえようとしているときの感情を抑えた声に、セレーンはなんといって言葉をかけたらいいかわからなかった。
 真っ白なブラウスに包まれた肩は震えてさえいない。
 ただ何かを決意したように固く唇を引き結んで、ずっと向こうを――遠い何かを見つめている。
 フレイはセレーンと年格好はほとんど違いないのに、その毅然とした横顔を見ていると、体に流れる血筋の違いなのだろうかとも考える。
 けれども。
 セレーンはこんな時、歯がゆくて仕方ない。
 召使いの身分にすぎないセレーンだけれど、どうにかしてフレイの大切にしているものを守りたいと強く思っている。
 なのに、何もできない自分の無力さが悔しかった。
 そもそも、跡継ぎである長男と母親のお気に入りである次男というこの屋敷の中でも五本の指に入る権力者を前にして、立ちむかえるような召使いなんて、どこにもいなかったのだけれど。


 どうしてあの二人は、セレーンにとってはこんなにも完璧な主人であるフレイのことが嫌いなんだろう?
 フレイがこのところ気に入って使っていた道具入れのお墓を敷地の隅に作りながら、セレーンは再び胸が苦しくなった。
「此処のお墓も、ずいぶんいっぱいになったね」
 セレーンが顔を上げると、フレイはいくつも並んだ拙い小枝の十字架たちに目を向けていた。しかも、意外なことに小さな主のその顔はどこか満足そうな顔をしている。
 この墓は苦い思い出と悲しみの証なのに。
 かすかに眇められた丸い瞳に、少しばかり苦しさが見え隠れするくらいで、悔しくて目の前が潤みかかっているセレーンからすると、拍子抜けするほど、落ち着いて見える。
 その落ち着きようにセレーンの方が動揺してしまうほどに。
「どうして? どうしてフレイは……もっと怒らないの? あの二人や奥様の前ではもちろん、泣いたって怒ったって仕方ないのはわかるけど、今は……セレーンの前では、もっと怒ってください!!」
 だからこその秘密の場処なのに。
 屋敷の奥の、こんな庭の隅の日当りの悪い場処なんて、絶対に上の兄たち二人は近づかないし、召使たちだってめったに来ない。
 もしかしたら庭師たちはうっすら気づいていると思うけれど、二人がこの場処にいるとき、何故かいつも庭師たちは違う場処を手入れしていた。
 そうわかってるから、この場処では、『ふたりきりの時は敬称をつけないで呼ぶこと』というフレイの要望を受け入れて、雲の上の存在であるはずの公子様を、『フレイ』と、安心して名前で呼んでいるくらいなのだ。
もっとも心の片隅では、こんなお墓ごっこが大人達に見つかったら、怒られるだろうと言うことは感じ取っていた。
 何故だかわからないけれど、大人達はフレイがやりたがる面白いことに、しょっちゅう顔を顰めてばかりいたから、これが大人達が嫌がるような遊びだってことぐらい、セレーンもわかっている。
 持ちモノを壊されたことを知られてはいけない。
 その壊されたモノのお墓を作っていると知られてはならない。
 二人だけのとき、こっそりセレーンがフレイのことを名前で呼んでいると知られてはならない。
 いくつもの意味で、この場処は秘密の場処だったし、この遊びはけっして見つかってはいけない禁忌のものだった。
 話しているうちに感極まってセレーンはぽろぽろと泣き出していた。
「セレーン……」
 その前で、フレイはびっくりして目を丸くしている。

 フレイが怒ってくれないから。
 フレイが泣いてくれないから。

 だから、セレーンは怒って泣いてしまうのだ。

「ありがとう……セレーン。僕の代わりに泣いてくれて」
 フレイは嗚咽を吐き出すセレーンの肩を寄せて、頭を抱えるようにして抱きしめてくれた。
 そっと二つに白金色の髪の中に指を入れられて撫でてもらえると、痛みに軋む心の中が満たされる気がする。
 慰めにしゃくり上げる自分の体を押さえていると、
「セレーンがそうやって泣いてくれるから、僕はいいんだ」
 やさしい声であきらめの言葉を聞かされて、再び怒りと悲しみがぶり返す。
「よ、よくな…いで、すっ。そんな、の、駄目!」
 だって細かい木彫りの模様のペーパーナイフも、別珍の布を貼った道具入れもフレイはとても大切にしていたのを知っている。
 ふたりで何度も読んだ絵本。
 書かれている文字を覚えてしまうくらい読んだ本が、二つに引き裂かれていたのを見たときの悲しい衝撃。
 あんなふうに粉々にされたり、壊されたりするなんて、セレーンは嫌だった。
 うっかり壊してしまうのだって嫌なのに、なんであんな綺麗なモノをわざわざ壊すような酷いことができるんだろう。
「き、綺麗な、別珍をどうして裂いちゃうの、平気なの?」
 あの人達は何故?
 混乱した頭で、嗚咽混じりの声を吐き出すと、フレイの腕にわずかに力が籠められた。
「それはね……綺麗だから、壊したくなるんだと思うよ……」
 セレーンはフレイの腕の中で目を瞠った。
 囁くような声に籠められた想いが理解できない。
 けれども、その声音にもセレーンの体に回された腕にも、まるで、上の兄たち2人の気持ちが理解できるとでも言わんばかりの響きが入り交じっていた。
「綺麗だから、壊したくなる……の?」
 辿々しく言葉を繰り返して、そっとフレイの顔を見上げる。
 いつも茶目っ気に溢れて、きらきらして見える茶色の瞳。
 その奥底にセレーンが今まで知らなかった翳が見え隠れしている気がして、セレーンは呆然とその瞳を見つめてしまう。
 どこか遠くで、汽笛の音が鳴り響く。
 空いっぱいに広がる低い響きは、三回ほど続いて、風と運河の水音に掻き消される。
 おそらくは近くの大河シェストリバーに定期汽船が到着したことを知らせるものなのだろう。
 頭の片隅で、ぼんやりともうそんな時間か……と思いながらも、セレーンはフレイの瞳を見つめ続けていた。
「……フレ、イ?」
 セレーンは汽笛の最後の余韻が消えた後に、もう一度呼びかけた。
 すぐそばにあるフレイの顔は微笑みを消し、いつもの親しみやすさは潜められている。
 その表情のない顔が、どこか見知らぬ人のようにも見える。
 少し怖いのに、目を離せない。
 セレーンがそう思いながら、身じろぎできないでいると、フレイが素早い動きで、セレーンの前髪を掻き上げて、額にキスをした。
 ちゅ、と音を立ててすぐに離れる慰めのようなキス。
「きゃっ」
 緊張していたところに、急にやわらかいものが触れて、軽い悲鳴を上げてしまう。
 セレーンが真っ赤になって身を竦めると、その様子がおかしかったのだろう。フレイが声を立てて笑った。
 その顔にはもういつものやさしくて、愛らしい――セレーンが好きだと思う表情が戻っていた。
「レーンは、わからなくていいよ」
 フレイは地面から立ち上がりながら言う。
「え?」
 背中を向けているその顔にどんな表情を浮かべているか、セレーンからは見えない。
 なのに、すぐそばにある小さな背中が、少しばかり遠く感じる。
「フレ…イ?」
 急に心細くなって、その背に――フレイの腕に手を伸ばすと、茶色い癖っ毛が揺れ、愛らしい顔がくるりと振り向いた。
「もうすぐ家庭教師が来る時間だから、部屋に戻らなきゃ。そろそろギリアムが探しに来るだろう」 
「あ、そうでした!」
 さっき定期汽船の到着を知らせる汽笛を聞いたときに掠めた何か。
 それはいつもそのぐらいの時間に、身なりを整えて勉強を始める支度をしている習い性によるものだった。
「道具入れ、ないって怒られちゃうかな……」
 ふと、どうでもいいことが気になって、セレーンは勿忘草色の瞳を俯せてしまう。
「あの人がそんなに、目端が利くわけない。わかりっこないよ」
 あの人というのは、フレイにあてがわれた家庭教師のことだろう。
 確かに何度か会ったけれど、勉強そのものはともかく、装飾品にはまるで興味を示さない人で、事実、本を始めとして、フレイの部屋にあるものを時折壊され、品物が変わっているときでも、それを言葉にされたことはなかかった。それは金持ちとはそうやって品物をしょっちゅう買い換えるものだと思われているだけかもしれないし、単に偶然かもしれないけれども。
「でも……」
 セレーンが未だぐずっていると、フレイは迷いを断ち切るように、セレーンの手をとって歩き出した。
「行こう、セレーン」
 手を引かれて歩きながら、一度だけセレーンは十字架が並んだお墓立ちを振り返った。
 セレーンとフレイだけの秘密の場処。
 セレーンとフレイだけが大切にしていたモノたちのお墓。
 
 やがて、遠ざかっていく十字架たちが植え込みの影に隠れて見えなくなると、セレーンは「さよなら……」と、十字架に、今埋めたばかりの道具入れに向かって呟いた。

【ED】

 
ご主人様と甘い服従の輪舞曲〔ロンド〕のセレーンとフレイのSSです。
最初に書いてたのが、なんだかうまく甘くならずに没ったのですがw
この話は本編と関係ないので、普通になんかひとつくらい置いておいてもいいかと思って、載せておくことにした。
アイコンはちびアイコンジェネレーターで作った奴。
ちなみに、ちょみっとこれの連続の話で、本編後の話も時間ができたら……。

公開日:2013年5月20日

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