イケニエの羊だって恋をする!? 〜暴君社長の愛玩OL

◆プロローグ−1 イケニエにされちゃったらしいですよ?

――どうやらわたし、社長にイケニエに捧げられてしまったらしいですよ?

などと、頭のなかで冷静に実況中継してみても、七崎雨音〔ナナサキ アマネ〕はほとんどパニックになっていた。

雨の音と書いて、アマネ。
時々、『その名前ってなんだか雨女みたいだね』などといわれるけれど、実際、旅行に行くと、晴れていてもなぜかしょっちゅう雨が降る。友だちももう慣れっこだし、「わたし一生水には困らないと思う」などと雨音自身、開き直ってしまっている。
そんなことはともかく。

(おかしい。どう考えたっておかしいでしょ、コレぇっ!?)
ここは現代日本。
しかも真っ昼間の会社のなか。
どう考えたって、イケニエなんて言葉がでてくるのはおかしい。
そう思うのに、

「生け贄のくせに、ひとりで黙って考えごとなんてするな。生意気だ……その大きな目でちゃんとこっちを見てろ七崎。命令だ、命令」
傲慢な声とともにコツンと頭をこづかれた。

「いやだって社長、ななな、なんで!? コレおかしくないですか? それにわたし今日中に作成しちゃいたい書類があったんですが、そろそろデスクに戻っていいですか?」
「……おまえ自分の身分がわかってないな」

「………………。身分なら、ただの平社員だったはずですが」
「その通りだ。よくわかってるじゃないか、平社員」
そしていま雨音が捧げられてしまったらしい相手は、この会社の社長さまである柊城雪也〔ヒイラギ ユキヤ〕。
しかも暴君だの専制君主だのと影で噂されているらしい。

その暴君さまの一言で、気に入った部下の配属も部署の存続も思いのまま。
鶴の一声で「このプロジェクトは中止だ」といわれ、過去に何人もクビになったらしい。恐ろしい。

だからもちろん雨音だって逆らう気はない。
せっかく掴んだ正社員への第一歩。
大事なこの研修期間に社長から不興を買うなんてしたくないし、上司からの評価も欲しい。

(だから多少の残業ぐらいはもちろんどんとこいだったわけなのだけれど――)
「なんだ、その恨みがましそうな目は?」
「うぅ……いやだって社長……この体勢も就業時間中にしてはおかしいと思うんですが、いかがでしょう?」
「社長じゃなくて、この部屋に二人っきりのときは雪也と呼べ」
「…………………。名前でって……なぜに!? む、無理。それは無理ですよ! というか、名前を呼び捨てにした途端、クビになるとかそんなこと考えてません?」

上目遣いに潤んだ瞳で睨みつけたら、ゴツンとこぶしで軽くこづかれたあげく、頭をぐりぐりされた。痛い。
恨みがましく睨んでみたところ、やや色素の薄い瞳を眇められて、ふんと鼻で嘲笑われた

「生け贄のくせに口答えするなんて、生意気だぞ」
「うぐ……だって……」
「だってなんだ。言ってみろ、その潤んだ目で睨みつけられるのはかわいいから、ひとまず聞くだけは聞いてやる」

(うううう。かわいくなんてなくていい。ひとまずとかおかしい。そもそも非現実的すぎるでしょ!? イケニエだなんて!)
整った甘い相貌に近づかれたって、頭は混乱するばかり。

ここは社長室。いまは仕事時間中。
なのに社長室のソファの上で、雨音は追い詰められている。
品のよい家具で整えられたオフィスルームはなにもかもが高価そうだけれど、滑らかな触りごごちの革はやたら高そうな気がして、うっかり爪でも立ててソファを傷つけたらと思うと気が気じゃない。

こんなところで膝立てて乗ってきて腕で囲いこまないで欲しい。
なんというか、心臓がどきどきと高鳴るのは恐怖なのか、社長の――柊城雪也の整った顔が近いせいなのか。
頬骨高く、すっと伸びた鼻梁はちょっと日本人離れした格好良さなのだ。
どうやらクォーターだか、ほんの少し混じってるせいらしいけれど、間近にせまられると、好きとか嫌いと以前に、その端正な顔に勝手に心臓が跳ねてしまう。

(いやだから、これはダメ。考えても見てもダメなんだってば、雨音!)
必死に自分自身に言い聞かせてみても、心臓はどくどくと鼓動を速めるばかり。
すらりと伸びた腕と脚。
イタリア製だというオーダーメイドのスーツを纏う肢体は均整が取れて男らしく、雨音の体をすっぽりとおおえる。
既製品とは違って妙に体のラインが美しいスーツ姿にくらくらしているというのに、ただそれだけではなく、背が高いのだ。
不必要にでかいとかじゃなくて、均整のとれた体つきで雨音よりも頭一つ分以上、身長が高い。

それがいちばんよくない。
そんな人の腕が自分をソファに囲いこんでいるというのに、どうすればときめかずにいられるだろう。

「……社長ってやっぱり、背が、高い、ですよね?」
「それで?」
「あ、でも紀藤課長も高いか……おふたり並んでいるとなかなか異次元なハイソサエティ感が漂ってなかなか目の保養です。いつもありがとうございます。見るだけで充分なので、この体勢はいささか不本意ですけれども」
「……不本意とか失礼な奴だな。しかも“紀藤も”、ね。そうだな、あいつも身長は高い方だな」

そういいながら、雪也が体を傾けてきたのがわかった。
雪也が膝をつくソファが、ぎしりと軋んだ音を立てる。
その音に、わけもなくどきりとした。

(あれ? わたしなにか機嫌を損ねるようなことを言ったのかな?)
こころなし、いつもはにこやかな端整な顔がしかめられている気もする。なんでだろう。
たらりと背中に冷や汗が伝うから、思わず饒舌になってしまう。

「あ、社長あの、わたし、ようするにアレですよね、いわゆるスケープゴートってやつなんでしょうか? 結局イケニエって何をするんでしょう?」
ふわりとオーデコロンの匂いがして、社長の匂いだと雨音は思う。

(眩暈がしそう――)
くらくらと――まるで酒に酔っ払ったかのように頭が上手く回らないのに、なぜだか、その匂いを嗅ぐと心が安らぐ気がする。だから思わず目を閉じて深呼吸して匂いを吸いこんでしまう。

「……切り捨てられた山羊のスケープゴードというよりは、神に捧げていた生け贄のサクリファイスだと思うが……それとも俺が悪魔だったらスケープゴードで間違いないか」
そんな言葉を暗闇のなかで低く囁かれて、つづけざまにちゅっと耳元に口付けられた。
「な、なにして……ひゃっ……!」
こそばゆい感触にぱっと目を開くと、くすりと耳元で笑う気配。
耳まで真っ赤になった。

「しゃ、社長っわたし食べてもおいしくないですから!」
「それはどうかな? じっさいに食べてみないとわからないじゃないか」
にやりと口の端を歪めて笑う意地悪そうな顔に、なぜか雨音は胸がときめくのが抑えられない。

(違う。おかしい! 感じるならせめて恐怖にして!)
そう思うのに、真っ赤になった頬は熱を帯びて、当面冷めそうにない。

(平社員の新米で、目立たず人の足を引っ張らずひっそりこっそり会社の片隅に居座るような――平凡どころかへいへいぼんぼんの星を目指していたはずなのに!)

――どうして、こんな展開になったんだろう?

雨音は頭のなかで必死に考えていた。


イケ恋・ムーンライトノベルズ/■/続く
公開日:2014年1月3日〜ムーンライトノベルズ初出/2014年9月16日サイト転載

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